ケーナを始めて20年になった。
この楽器を吹く悦びは、初めて手にした時のままの純度で、今も僕を捉え続けている。
一方で、演奏家としての僕は、益々貪欲になっている。つまり、逆説的な言い方になるが、上手くなればなるほど、下手になる、そんな気分がある。一つの問題を解決すれば、今まで見えなかった課題が見えてくる。その度に新たな要求が増える。まぁ、そういうものなのだろう。
今更ここで、この楽器との馴初めや僕自身の出自をドラマティックに語って、説得力を持たせようとは思わないが、出逢いからこれまでを少し振り返っただけでも、沢山の幸運が思い出される。
道半ば、とよく言うが、僕にはあまりその実感がない。定められたゴールなど端から存在しない。そもそも、道すらないところを手探りで彷徨っているといった様子だ。
生涯現役を公に宣言するような見苦しい真似はしたくない。やめるべき時にやめる。演奏家としての僕に責任というものがあるとしたら、その判断を任されていることぐらいであろう。
20年間ほぼ毎日、この楽器を手に取り、吹いている。
木や竹といった自然の素材で出来ているから、気候の変化も常に影響するし、激しい演奏を立て続けにこなした後などは楽器に疲れが出るものだから、1日ぐらい休ませてやる日もあるが、2日吹かないでいると僕の体調が悪くなる。身体に悪い気でも溜まっているように優れなくなる。面白いものである。
9歳でこの楽器を初めて手にした。
色々あって、家で練習出来るタイミングは限られていたので、よく見計らって音を出さねばならなかった。それでも毎日触った。夜中など、音を出せない時は、歌口のところに耳を持っていき、指孔を開けたり閉じたりしながら、筒の音を聴くのが好きだった。異世界へ誘うような、何とも豊かで美しい音がする。この楽器はこういう音で鳴りたがっているんだ、と教えられているような感じがする。
まだまだである。
しかしそれでも、僕のケーナの音はすでに、僕の声より僕の声に近い。
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