*以下の文章はTwitterに連投したものの加筆・修正版です。
*表題の通り、2017年6月21日に東京オペラシティ内「近江楽堂」にて開催される【岩川光 無伴奏ケーナ・リサイタル 〔J. S. バッハ〕】と、新作アルバム【Johann Sebastian BACH : 3 SUITES (BWV1007-1009)】に寄せて書いたものです。
---
意外にも、J.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」のチェロ以外での演奏で最初に聴いたのは、清水靖晃氏のサックス版だった。それを聴いて、リコーダーを通じて後期バロックを学んでいた最中だった少年期の僕は、先ずある種の「反感」を抱いた。(勿論、今となっては清水氏のアルバムも大いに楽しんで聴くことが出来る。賛否両論はあろうが、非常に芯の有る斬新な音楽的プロポーズだと思う。)
その直後、魂の師と仰ぎ心酔していた故フランス・ブリュッヘンによるリコーダー版の存在を知り、すぐに譜面と録音を手に入れた。中学の終わりか高校1年位だったろうか。その衝撃は今もなお新鮮な感覚として、僕の中にある。今から45年前の天才の仕事である。
それからと言うもの、このブリュッヘン版を、音楽的興味は無節操に広げながらも、いつも持ち歩く教科書のように拠り所とした。1~3番までしか彼は取上げなかったが、それで十分だった。先ずはリコーダーでひと通り学んだ。この時はまだ、ケーナで演奏しよう、とは想像もしていなかった。
色々あって、大学入学の頃、ケーナ奏者として自分を定めた。バロックとモダンのリコーダーを通じて学んだ技術をケーナに注ぎ込む作業を始めた。この頃、J.S.バッハのこの作品のケーナ版を、いつか僕が作らなきゃならないんだ、という漠然とした思いを抱き始めた。
J.S.バッハ自身の直筆譜が存在しないこの作品の編曲は、いつだって、誰がやったって、様々な困難と選択を強いられる瞬間が多々ある。マグダレーナ版とケルナー版を眺めながら、一般的な出版譜の信用ならなさを痛感することもしばしばだった。
ましてや、ケーナで、自分で演奏するのだ。作曲家との対話だった。彼が生きた時代、その前からの影響、当時の環境や習慣…考えるべきことは膨大にあった。おおよそ一般的にはかけ離れたイメージを持つケーナという楽器で演奏するからこそ、あらゆるフレージングに、アーティキュレーションに、全ての音符に、これらの知識が血肉化された形で反映されていなければならないと考えた。世界初はいつだって責任重大だ!
全く関係ないように見える色々な音楽をやりながら、だったので…結局10年かかってしまった。
ようやく去る今年の5月、スタジオに入り、3つの組曲の録音を仕上げた。完成版を聴き、恥ずかしながら、僕は自分の録音を聴いて初めて涙が出た。
300年前に書かれた音楽を、今日の自分自身の真の声にするなんて、容易なことではない。この作品を取上げてきた数多の演奏家に敬意を払いながら、今こうして、この作品を自分の音楽に出来たことに、素直に喜びを覚えた。そしてJ.S.バッハの偉大さ、何よりも音楽の尊さを改めて知った。
だから今は言える。「ケーナでやる意味とか、聴く前から余計なことを問わず、とにかく聴いてくれ。ここに音楽があるから」と。
---
【岩川光 無伴奏ケーナ・リサイタル 〔J. S. バッハ〕】
2017年6月21日(水)18:30開場/19:00開演
近江楽堂
3,000円/当日3,500円
予・問✉otonomado@gmail.com
2017年6月10日土曜日
2017年6月7日水曜日
ここひと月半ほどのこと
ここひと月半ほど旅が続いた。
4月17日(正確には18日未明)から25日まではメキシコはベラクルス州の街ハラパにいた。国際ケーナ・フェスティバルに出演するためであった。
4月25日から5月16日まではアルゼンチンのブエノスアイレスにいた。Facebookに「ブエノスアイレスに行くよ」と投稿した途端、出演依頼が殺到し、ついに1日も休みがなかった。この間に新作アルバム『Johann Sebastian BACH : 3 SUITES (BWV1007-1009)』(J. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲1~3番」のケーナ版)の録音も仕上げた。
そこから日本に戻り、諸々の雑務に追われたのち、5月25日から31日まで、ピアニスト/作曲家の伊藤志宏氏とジャパン・ツアーを行った。
6月1日に拙宅に戻り、久々に三匹の愛猫たちと戯れようとしたが、彼らはしばらくの間、どこかよそよそしかった。
旅の中で起こった全ての出来事を事細かに書くことは、ここでは許されないだろう。しかし一つ言っておかなければならない大切なことは、これらの旅は常に美しい人間の関係性で以て成り立っていた、ということである。
先ず、メキシコでのフェスティバルへの参加、それに続くアルゼンチン滞在と新作録音のために、多くの知人、友人、ファンの方々が「協賛」という形で惜しみない応援を下さった。この助けがなければ実現し得なかった。この場を借りて改めて御礼申し上げたい。
メキシコのフェスティバルでは、今日の幅広いケーナ演奏シーンを代表する世界最高峰の奏者たちが集結した。この規模のケーナ・フェスティバルは他に例がなく、出演者の質は間違いなくトップである。その中で僕は、唯一の日本人どころかアジア圏からはただ一人の出演者でありながら、ソロ部門の取りを務める栄誉を授かった。やるべきことは出来たと思う。主催者やプロデューサー、会場にいた方々からは、「このフェスティバル中、最も美しい静寂に会場が包まれた」「ケーナ演奏史上最高峰」「誰も予想だにしなかった別次元の演奏」など、身に余るお言葉をたくさん頂いた。また、来年の同フェスティバルへの招聘も即座に決定し、ペルーやコロンビアの音楽祭への招待、マスタークラスなどの依頼が相次いだ。
しかしステージを一旦降りれば、ただの人である。ここからが人間同士の付き合いというものである。ホテルでは他の出演者との酒宴が毎夜毎夜続いた。初日は10人ほどで缶ビール200本とテキーラ2本を空にした。そんな夜が4日ほど続いた。そりゃ、旅立ちの時には涙がこぼれるわけである。
ブエノスアイレスはすでに我が第二の故郷と呼ぶにふさわしい街である。20歳からの時間の約半分をこの街で過ごしている。僕が話すスペイン語は今や完全にポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)のそれである。しかし、僕が逃げるようにこの地を離れた2015年12月に起こった政権交代から、明らかに大部分の国民の実生活は大打撃を受けている。(僕はそれ以来、日本とアルゼンチンを、文字通り「行き来する」生活を送っている。)皆、物価高騰に必死に耐えている。そんな状況でも、ありがたいことに、僕のライヴには必ずお客さんがいる。出演したライヴはどれもほぼ満員御礼であった。
ブエノスアイレスでは2つの作品を録音した。
一つは例のJ. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲1~3番」である。すでにデジタル配信は開始されていて、6月21日に近江楽堂で開催されるリサイタルでCD販売開始である。
もう一つはMauro Panzillo(テナー・サックス)、Emmanuel Rotondo(エレクトリック・ギター)、Francisco Jaime(ドラム)から成るトリオ「P∆JARO」とのアルバム。彼らは云わばエレクトリック/アンビエンタル/フリー・ジャズなどにカテゴライズされるような音楽をやっているプロジェクトだが、「自分たちが生まれた大地を、僕らも予想だにしなかった文脈で奏でる音が欲しい」とのことで、先ずはライヴに僕をゲストで呼んでくれた。1、2曲かと思いきや、ライヴ1本丸ごとだったのには驚いたが、非常に美しく鳴っていて、彼らは大満足し、即、レコーディングのオファーもくれ、このセッションと相成った。無論、録音も1、2曲なわけもなく、アルバム1枚分を2時間ほどで録った。
充実の旅から日本に戻ると、瞬く間に自分が委縮していくのが分かる。外から見ると、この国の素晴らしさも愚かしさも目立ってしまうのである。何よりも先ず、現実がのしかかってくる。正直に言ってしまえば、元気がなくなる。
が、今日まですこぶる調子がいいのは、伊藤志宏氏とのツアーのおかげである。
現状、僕が独自のプロジェクトとしてデュオをやっているピアニストは彼だけである。常々、「伊藤志宏はピアノという機械から人間の声を引き出す稀有な存在だ」と言ってきた。このツアーでも、彼の十指に撫でられるピアノは、人間の心の機微を鮮やかに歌っていた。
良いツアーの後には、聞こえ方が変わっている。耳が変わっている。考え方も少し変わっている。要するに、それ以前の自分ではなくなっている部分があるのであろう。
志宏氏と東京(関東)以外で演奏するのは、これが初めての機会だった。僕らがやっている音楽は僕らの音楽である。作曲も僕ら、演奏も僕ら。観客の方々が初めて聴くものばかりである。聴いたことのない音楽を聴くことは、演奏することより、大きなチャレンジではないかといつも思う。
だからこそ、このツアー中、幾度となくお客様の集中力と熱意、そして彼らが作り上げる静寂に感謝した。
終演後、お客様の顔がとても素敵になっていた。何かが開かれたように、目が煌めいていた。こういう時、人間は美しいと思う。
そう、人間は美しい。世界中のどこへ行っても、良い時間を持てば、そう感じる。
僕は、「音楽は世界を平和にする」とか、「音楽は国境を越える」とか、そういう類の言葉は嫌いで、そんなことは全く信じていない。僕の実感としてあるのは、「音楽は時々、人間の心を解きほぐす」ぐらいのことである。しかし、それがとても大切で尊い。
あとは勘違いしないことだな。
音楽家が偉いんじゃない。音楽が凄いんだ。
4月17日(正確には18日未明)から25日まではメキシコはベラクルス州の街ハラパにいた。国際ケーナ・フェスティバルに出演するためであった。
4月25日から5月16日まではアルゼンチンのブエノスアイレスにいた。Facebookに「ブエノスアイレスに行くよ」と投稿した途端、出演依頼が殺到し、ついに1日も休みがなかった。この間に新作アルバム『Johann Sebastian BACH : 3 SUITES (BWV1007-1009)』(J. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲1~3番」のケーナ版)の録音も仕上げた。
そこから日本に戻り、諸々の雑務に追われたのち、5月25日から31日まで、ピアニスト/作曲家の伊藤志宏氏とジャパン・ツアーを行った。
6月1日に拙宅に戻り、久々に三匹の愛猫たちと戯れようとしたが、彼らはしばらくの間、どこかよそよそしかった。
旅の中で起こった全ての出来事を事細かに書くことは、ここでは許されないだろう。しかし一つ言っておかなければならない大切なことは、これらの旅は常に美しい人間の関係性で以て成り立っていた、ということである。
先ず、メキシコでのフェスティバルへの参加、それに続くアルゼンチン滞在と新作録音のために、多くの知人、友人、ファンの方々が「協賛」という形で惜しみない応援を下さった。この助けがなければ実現し得なかった。この場を借りて改めて御礼申し上げたい。
メキシコのフェスティバルでは、今日の幅広いケーナ演奏シーンを代表する世界最高峰の奏者たちが集結した。この規模のケーナ・フェスティバルは他に例がなく、出演者の質は間違いなくトップである。その中で僕は、唯一の日本人どころかアジア圏からはただ一人の出演者でありながら、ソロ部門の取りを務める栄誉を授かった。やるべきことは出来たと思う。主催者やプロデューサー、会場にいた方々からは、「このフェスティバル中、最も美しい静寂に会場が包まれた」「ケーナ演奏史上最高峰」「誰も予想だにしなかった別次元の演奏」など、身に余るお言葉をたくさん頂いた。また、来年の同フェスティバルへの招聘も即座に決定し、ペルーやコロンビアの音楽祭への招待、マスタークラスなどの依頼が相次いだ。
しかしステージを一旦降りれば、ただの人である。ここからが人間同士の付き合いというものである。ホテルでは他の出演者との酒宴が毎夜毎夜続いた。初日は10人ほどで缶ビール200本とテキーラ2本を空にした。そんな夜が4日ほど続いた。そりゃ、旅立ちの時には涙がこぼれるわけである。
ブエノスアイレスはすでに我が第二の故郷と呼ぶにふさわしい街である。20歳からの時間の約半分をこの街で過ごしている。僕が話すスペイン語は今や完全にポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)のそれである。しかし、僕が逃げるようにこの地を離れた2015年12月に起こった政権交代から、明らかに大部分の国民の実生活は大打撃を受けている。(僕はそれ以来、日本とアルゼンチンを、文字通り「行き来する」生活を送っている。)皆、物価高騰に必死に耐えている。そんな状況でも、ありがたいことに、僕のライヴには必ずお客さんがいる。出演したライヴはどれもほぼ満員御礼であった。
ブエノスアイレスでは2つの作品を録音した。
一つは例のJ. S. バッハ「無伴奏チェロ組曲1~3番」である。すでにデジタル配信は開始されていて、6月21日に近江楽堂で開催されるリサイタルでCD販売開始である。
もう一つはMauro Panzillo(テナー・サックス)、Emmanuel Rotondo(エレクトリック・ギター)、Francisco Jaime(ドラム)から成るトリオ「P∆JARO」とのアルバム。彼らは云わばエレクトリック/アンビエンタル/フリー・ジャズなどにカテゴライズされるような音楽をやっているプロジェクトだが、「自分たちが生まれた大地を、僕らも予想だにしなかった文脈で奏でる音が欲しい」とのことで、先ずはライヴに僕をゲストで呼んでくれた。1、2曲かと思いきや、ライヴ1本丸ごとだったのには驚いたが、非常に美しく鳴っていて、彼らは大満足し、即、レコーディングのオファーもくれ、このセッションと相成った。無論、録音も1、2曲なわけもなく、アルバム1枚分を2時間ほどで録った。
充実の旅から日本に戻ると、瞬く間に自分が委縮していくのが分かる。外から見ると、この国の素晴らしさも愚かしさも目立ってしまうのである。何よりも先ず、現実がのしかかってくる。正直に言ってしまえば、元気がなくなる。
が、今日まですこぶる調子がいいのは、伊藤志宏氏とのツアーのおかげである。
現状、僕が独自のプロジェクトとしてデュオをやっているピアニストは彼だけである。常々、「伊藤志宏はピアノという機械から人間の声を引き出す稀有な存在だ」と言ってきた。このツアーでも、彼の十指に撫でられるピアノは、人間の心の機微を鮮やかに歌っていた。
良いツアーの後には、聞こえ方が変わっている。耳が変わっている。考え方も少し変わっている。要するに、それ以前の自分ではなくなっている部分があるのであろう。
志宏氏と東京(関東)以外で演奏するのは、これが初めての機会だった。僕らがやっている音楽は僕らの音楽である。作曲も僕ら、演奏も僕ら。観客の方々が初めて聴くものばかりである。聴いたことのない音楽を聴くことは、演奏することより、大きなチャレンジではないかといつも思う。
だからこそ、このツアー中、幾度となくお客様の集中力と熱意、そして彼らが作り上げる静寂に感謝した。
終演後、お客様の顔がとても素敵になっていた。何かが開かれたように、目が煌めいていた。こういう時、人間は美しいと思う。
そう、人間は美しい。世界中のどこへ行っても、良い時間を持てば、そう感じる。
僕は、「音楽は世界を平和にする」とか、「音楽は国境を越える」とか、そういう類の言葉は嫌いで、そんなことは全く信じていない。僕の実感としてあるのは、「音楽は時々、人間の心を解きほぐす」ぐらいのことである。しかし、それがとても大切で尊い。
あとは勘違いしないことだな。
音楽家が偉いんじゃない。音楽が凄いんだ。
登録:
投稿 (Atom)