2016年11月28日月曜日

農と音

一昨日、昨日と、1泊2日の弾丸日程で秋田県の男鹿と大仙に演奏旅行に出かけていた。
「寺」と「食堂」が舞台だったが、演奏会もさることながら、そこに集う人々、その生の営み、それを支える風土そのものが、ありのままで美しく、強く心打たれた。良い旅だった。

20歳でボリビアのラ・パスに単身渡航したのを皮切りに、その後の人生の半分以上の時間を日本を遠く離れ、南米大陸(主にアルゼンチンのブエノスアイレス)で暮らしてきたが、11歳の秋口に起こったある出来事によって心にすっぽりと開いた穴は、以来、世界のどこにいようとも、僕に「ホーム」を喪失した感覚を抱かせ続けてきた。

しかし昨日、「樫食堂」で出逢った風景は、僕の人生の「原風景」を思い出させてくれた。そう、しっかりしまってあったのだ。
心を温めてくれる寒さがあり、どんな音よりも音楽的な深い静寂がある。地平線はあるがままの自分を受け入れてくれ、風は愛してくれる。

その食堂を営む一家は、自らの手で育んだ野菜を、自らの手で調理し、携帯電話の電波も届かぬ、威風堂々とした大地に、ぽつりと佇む彼らの家に、彼らの料理を心から求めて辿り着いた人だけに、ただ差し出す、ということをしている。
かつてはそれが当たり前だった。
命には、いただき方があった。調理にも食事にも、ある種の儀礼性が伴った。

僕は根っからの祖母さんっこだった。母方の祖母が誰よりも好きだった。
彼女は家の近くに小さな畑と田んぼを持っていた。田は、手で植え、手で刈る、で済む程度の、畑は日々の食事の足しになる程度の、それぐらいの規模だったと記憶する。よく、色々と手伝わされたので、今でも一通りのやり方を覚えている。
この畑で採れたトマトが世界で一番美味かった。じゃがいもも、とうもろこしも、土の味がして美味かった。すいかは畑で休憩の時、祖母が膝で割ってくれたのを、むしゃむしゃと食べた。甘かった。
見渡せば辺り一面が津軽平野に営まれた田畑で、水が流れ、お山があった。

思い出したのは、この風景である。

常々、農作のように音楽作りをしたい、と思っている。
特に東京に暮らす周囲の「売れっ子」ミュージシャンを見ていると、朝早く出かけ、午前中に録音仕事、昼にリハーサル、夕方には別件のリハーサル、夜はコンサートの本番、という日々を、ほぼ年中、毎日のように送っている。ツア―に出かければ、移動中すら、連絡業務や事務作業に追われている。
凄いもんだ、こうしなければ生活が成り立たないんだな、と感心する一方、彼らはいつ考え、修練し、創作しているのだろうか、という疑問が湧く。彼らは自分という大地を耕すことが出来ているのだろうか、と心配になる。
音楽を作るために、音楽よりも大切なことがある。人の、人としての営みである。その一部が音楽だ、というだけであって、決して全てではない。「音楽」という概念すら、実は不要なのだ、ということは、世界中の多くの「未開」「原始的」とされる人たちが証明している。
豊かな土地から、滋味深く、美味い野菜が採れるのである。人が豊かでなくて、どうして真に豊かな音が響こう。
自分を耕す時間は、演奏よりも圧倒的に長くなければならない。そして次なる収穫のために、命の繋がりのために、耕し続けなければいけない。丁寧に、育て続けなければいけない。
それを他人に提供するならば、それぐらい心しておくべきだろう。「口に入れるものとは違う」とは単なる言い訳である。筋も通っていない。音楽だって耳に入り、頭に入り、留まる。

樫食堂のスープを一口すすった瞬間に、このことの大切さを改めて確信した。
この味に応えられる音楽ができただろうか、と振り返った。






2016年11月25日金曜日

資本主義、広告と芸術

今日我々が暮らす世界を席巻する資本主義、資本主義社会というシステムは、「成長」し続けることを前提とする。我々人類を包括する地球という有限性を前に、こうした成長の嘘っぱちはすぐに暴かれて、その構造など容易に瓦解しそうなものだが、貨幣と金利という発明によって、また国家を巨大金融機関に仕立て上げ、国民を奴隷化することによって、生き長らえている。

そう、我々は現状、真の民主主義など初めから成立し得ない社会に暮らしている。
国家は制御を容易にするために、国民が無知蒙昧であり続けることを望む。「広告」はそのための有効手段である。政府意見広告の多さ、そこに費やされる多額の金(国民の血税!)、また政府御用達企業に支配されたマスメディアCMなど、その危険性や悪質さは故・天野祐吉が40年以上前から再三指摘していたが、この点において、国民の知性は劣化の一途を辿っているようである。

こうした実情が、僕のような音楽家にも具体的な問題として常に迫ってくる。
「成長の強要」は一人ひとりの思考の奥底にまで染み込んでいる。更には、中身があっても無くても、数字によってその評価が、誰にでも、特段頭を使わなくても、見やすくされてしまっているから、よく考えることは疎かにされがちで、それどころか、奴隷的な労働のせいで、考える時間などない状態に置かれている人も数多いる。彼らに、自分の人生を自分のために用いる余裕を持ってもらうだけでも一苦労である。
また幸いにして時間に隙間を、財布に余裕を作ってもらったところで、彼らのものの考え方まではなかなか変えられるものではない。
資本主義人は、結果が分かっていることにしか投資をしたがらない。「良いと言われている」ならまだいい方で、「知っている」「見たこと・聴いたことがある」が基準となる。それらが「広告」の結果であることなど意に介さない。

芸術はその衝動からして未来志向的である。
過去の膨大なサンプルから技を学び取りつつ、今はまだ存在しない何かをつくり出し、少し後の、近くの、そして遠くの未来に放つことを目指す。
そこには勝算などというものはない。目論見も算段もない。本人だって知らないでつくっている。つまり全くの手探りである。成功作の陰には数え切れないほどの失敗作があり、そうした失敗こそがしばしば作品に陰影と深みを与えるものである。
だから芸術の歴史には「異端」しか残らない。500年後の我々の目を驚かせ、300年後の我々の耳を熱狂させるなど、ほとんど奇跡としか言いようがないが、彼らは同時代の当たり前とは一線を画すことをやってのけたからこそ、今日まで生き残っているのである。そして恐らくは、その創造的歓喜も衝動も、屈託なく、純然だったはずである。この、ある種の「無償の愛」こそが、芸術を芸術たらしめている。

資本主義社会に生きていると、唯一無二性は瞬く間に尊ばれなくなる。何人死んだ、何トン獲れた…命すら数になる。
「芸術もどきの広告」が増えた。作り手は「芸術」だと信じているかもしれないが、その体はせいぜい「広告のような芸術」であり、中身は所詮「広告」である。が、資本主義に頭が侵されていると、この事実に気付かない。僕はこれを芸術における「教養」と呼びたい。作り手も純然ならば、鑑賞者も純然でなければならず、その点において両者の区分けはない。いずれも芸術の担い手である。

資本主義は人類史の中では割と最近生まれたが、もう死に体である。芸術は人類の誕生と同時に生まれ、ずっと共にあるが、生き延びている。芸術を殺すとしたら、それは上のような教養の不在であるが、人が変わればまた生き返る、というようにやってきた。
資本主義は死ぬが、芸術は死なない。当たり前のことである。

2016年11月22日火曜日

解き放ち

今朝のツイートにも書いたが、言葉は、話され、聞かれている時には、音楽的な耳で聴けば、それは音楽であり得る。
しかし音そのものは、概念からも概念化からも本来は解き放たれているから、音楽は言葉ではなく、言葉も音楽ではない。音楽が言葉に聞こえるとしたら、それは言葉的な耳で聴いているからであり、言葉が音楽に聞こえる時には、それは言葉を、意味からも意味付けからも自由に聴いているからであろう。

あらゆる事柄で、この「解き放ち」が、しばしば大きなインスピレーションとなる。
創造的な活動における行き詰まりの原因は主として、作り手自身にある、固定された何か、だ。

谷川俊太郎の詩に『コップへの不可能な接近』(『定義』より)というのがある。僕自身はこの詩が好きでも嫌いでもないが、「解き放ち」のための準備に必要なステップを示唆しているように読める。
「それは底面はもつけれど頂面をもたない一個の円筒状をしていることが多い。それは直立している凹みである。重力の中心へと閉じている限定された空間である。…」と始まる。

例えばギターを初めて持った子どもをすぐにギター教室に通わせると、たちまち「メソッド」に則って、構え方から手の形、姿勢、音階練習云々を、否応なしに教えられる。しかし考えてみれば、そうしたありがたい「メソッド」は、先人ギタリストが試行錯誤を繰り返し、日々考え、実験し、試しては失敗しを繰り返し、やっと「この辺でよいかな…」と生きているうちに取敢えずは納得できる形にして遺してくれた、いわば「排泄物」である。この「排泄物」は固定化された記録であるがゆえに、情報として容易に流布するわけだが、同時に「化石的」であり、しばしば「固定化」の道具として用いられるもので、能動的に考え、試みる機会を、この手つかずの広大な可能性を持った新米ギタリストから奪ってしまう。

しかし、もし「先生」がいなければどうだろうか。
ギターは、谷川がコップを見たように、この子にとって、「くびれのあるひょうたんのような形をした箱に細長い板が連結し、そこに弦が張ってある…何か」として立ち現れるのではないだろうか。この新しい玩具の遊び方は無限であるようにさえ感じられるかもしれない。そしてこの子に音楽的な耳があるならば、その音楽的な美を体現するための音を、この玩具から引き出す試みが、早速始められるだろう。

「耳というのは音楽を聞くことで音楽的になる」と言ったのは林光である。
僕はこの考えには半ば賛同し、半ば疑問を持つ。それはつまり、すでに世間一般で「音楽」と呼ばれているものを、例えばW. A. MozartのシンフォニーやL. van Beethovenのソナタを、「立派な、本当の、ありがたい音楽」として聴くことだけが、音楽を聴くということではないから、である。

音を「発見」する時、音楽は始まる。








2016年11月17日木曜日

教える、習う、練習する

たいそう不思議なことに、楽器演奏の習得においては、初学者の方がしばしば自信に満ち溢れている。
どういうことかと言えば、例えば自分の技術不足を棚に上げて、安易に問題の責任を楽器に転嫁しがちである。その楽器の良し悪しを判断できるほどの十分な技術がないにもかかわらず、である。
また例えば、指導者に習ったことはすぐに自分にも「できる」と思っている。練習もしないで。それでいて思うようにいかないと、指導者や教則本を責める。「教え方が悪い」「内容が間違っているようだ」などと言って。ファスト・フードよろしく、ファスト・ミュージックというわけである。
そういった要求を、供給側は商売だから、満たす努力を余儀なくされる。いや、そうせざるを得ないのか、あまりにもそんな売り方をし続けてしまったから、人々が上のような考えをしてしまうようになったのか、因果は定かでないが、街は「すぐできる〇〇」「1週間であなたも〇〇奏者」の類の教室広告や教本で溢れている。

断言するが、簡単な楽器などない。どんなものも、一朝一夕にして成るものではない。
あらゆる人がすぐできるようになるための「マニュアル」があると思ってもらっては困る。
基礎知識はある。長い歳月をかけて多くの先人たちが四苦八苦しながら培ってきた基礎技術もある。これらは、その効果が瞬く間に現れるというものではない場合が多いし、上達してからは「当然」になるだろうから、その本当のありがたみが日々嚙みしめられるようなものでもないかもしれない。しかし、あるのとないのとでは、大違いのものである。そしてその習得は、日々の修練を前提とする。

高名なフルート奏者であり研究家であるHans-Peter Schmitzは、その著書『後期バロック音楽の演奏原理』の中で、1750年代に、今日の我々が当時の音楽的状況(演奏習慣や様式、歴史的背景)を知る重要な手掛かりとなる優れた教則本が多数発表されたことに触れた上で、こう指摘する。少々長くなるが引用する。
「これらの教則本の出版された1750年代は、一見実り豊かで音楽的に健康な時代にみえますが、後期バロック様式にとっては、こうした教育面での豊作は秋の到来の前兆でした。なぜなら、伝統というものは死に絶えんとする時になって初めて活字に固定されるものだからです。例えばトランぺットのテクニックの場合も、その生きた伝統が消滅し始める頃(1795)になって初めて教則本が印刷されて、やがて墓に葬られたというわけで、それ以前には活字に固定されることなど不必要だったのです。」
この一文は僕にとっては、構想してきた『現代ケーナ教本』の執筆を断念させるに十分な説得力を持っている。この世を去る時までにはやっておきたい仕事の一つではあるけれども、いつ終わりが訪れるとも知らぬのが命である。

かのBruce Leeは、「流派」が武術を殺すという信念に立っていた。時代の最先端にあるものは、いつだって、「未だ名前を持たぬ」ものである。カテゴライズを拒み、その状況は常にその発展の「過程」「最中」である。道を断つのも人の勝手であり、瓶詰のホルマリン漬けにして博物館に飾ってしまうのも人の勝手である。プロセスこそ、真に豊かであるのに。

日々、広がりのある練習を!




2016年11月15日火曜日

アニミズム(animism)

他者の痛みを感じ取ろうとすること。アニミズムに根本原理である。
「―を感じられる」のではない。「―を感じ取ろうとする」という、他者を契機としながら、極めて能動的な心の動きこそが要である。
今日の日本に暮らしていると、この、人類が長い歳月をかけて最も発達させてきたはずの心の機微を、尽く剥奪されるような、または、剥奪し続けるシステムの中で生きることを強いられているような、苦しみを覚える。

先日、Facebookにて、スペイン語で弱音を吐いた。なるべく避けているので、珍しいこととは思う。
しかし最近では、もしスペイン語世界を獲得していなければ、僕は今日まで生きていなかったのではないかとすら思えてくるほどである。
ここに転載もしないし、訳出もしない。僕が持っているスペイン語世界に向けて、スペイン語脳で書いた一文である。
そんな投稿に対し、瞬く間に、アルゼンチンを中心に南米各国、スペインやトルコからも、多くの友人、音楽仲間、ファン、ネット上だけの知り合いがコメントやメッセージを寄せてくれた。(日本からも1人、スペイン語を何かで訳して読んで、日本語でコメントを書いてくれた方がいた。)それらは例外なくすべて、共感と励まし、そして、僕の音楽と僕の存在そのものを必要としてくれているという事実を伝える言葉に溢れていて、まるで言葉による抱擁のようで、思わず涙がこぼれた。
そして同時に、彼らの痛みも、僕は感じ取ろうと努めるだろう、と思った。
これも一つのアニミズムの形ではないか。

アニミズムを「想像力」として片づけてしまうのは、やや乱暴かもしれない。
始まりは、他者に命を認める作業である。それは同時に、自己を拡大していく。世界の端々にまで広げ、そして「同じ」「一部」であることを認める。
哲学者・大森荘蔵に倣って言えば、「正しく私も痛い」のである。
宮﨑駿の川上量生に対する憤りも、これで説明が付くのではないか。
貨幣もまた、我々の社会の経済的な営みから、こうしたアニミズム的な心の働きを奪い、命を限界まで軽薄化するためのシステムである。手に持てたうちはまだよかったのかもしれない。泥のついた一万円札に涙する余地があった。今や数字である。人の命からも、名前すら奪われている。

色々書いた。書くのは嫌いではない。
さりとて、僕の音は往々にして僕の言葉よりも端的で雄弁である、と信じている。

2016年11月12日土曜日

会いに行こう

「音楽のことしか知らないと、音楽のことが分からなくなる」
と、10代の終わりの僕に、我が師は言った。
この言葉が、僕の音楽家としての姿勢、延いては生き方そのものの、根底を成している。

自分自身を知るために、他者を見つめる。これは人類学の、その成立から一貫した基本姿勢である。
優れた人類学者は、フィールドワークの最中に出くわした「興味深い」出来事を記録するだけでなく、その時の自分自身の反応を真摯に見つめる。なぜこのように感じたのか、を考える。行きつくのは、「彼ら」の物珍しさではなく、自分自身である。

リュート奏者の佐藤豊彦氏は、今の人たちは「貪欲でない」と言う。一理ある。
巷によく聞く「今の若者は、云々」の指摘の類ではない。
手のひらサイズどころか腕時計にまでなったインターネット・アクセス手段は四六時中、情報を我々に浴びせ続けている。しかしそれらはあくまでも「記録」であって、その時点では匂いもなければ味もしない、音で言うならば、楽器から出ているものでもないのである。なのにそれらの情報は、我々の思考を瞬く間に、そして容易に支配する。一喜一憂するぐらいならかわいいもので、時には命を脅かし、権力を掌握する。これほど操作が簡単なのにも関わらず、である。
佐藤氏の言葉は「真実に向き合え」と言っているようにも聞こえる。

東京のコンクリート・ジャングルに悍ましいほど乱立する飲食店の数々を見る度に、ぞっとする。理由は大きく分けて2つ。1つは、過剰に生産され、消費され、大量に破棄される命への畏敬である。もう1つは、これらの店すべてが、口に入れ、身体の中に摂りいれるものを提供しているという事実である。
この中から、本当に美味しく、安心して口に入れられる物だけを出す店を見つけるのは、容易ではない。僕にとっての「行きつけ」の店はそういう場所であり、それらの店は訪れた瞬間から分かる独特の「哲学」を携えている。例えば昨夜、牡蠣うどんと鯖寿司を食べたうどん屋がそうである。

会いに行かなければいけない。
見て、聴いて、触れて、食べて…それでも分からなければ、信じられるうちは通うのである。
人生の時間は限りある、そして不可逆的である。その唯一無二性こそが、時の貴重さであり、尊さの所以である。
だからこそ、本当のことに、出会いに行かなくてはいけない。自分の時を使って、自分の身体でもって。



2016年11月10日木曜日

自然体

楽器の演奏というと、普段の生活上の所作からは随分かけ離れたような繊細極まりない技を必要とするようにとかく想像しがちだが、実際には先ず、あくまでも自然な、無理のない動きというのを見つめ直していかなければいけないわけだ。(だから、日常生活のあちこちにヒントがある。)
その意味では、物心が付くか付かぬかの幼いうちから、自らそうした探求をする時間を与えられず、訓練されるがままに演奏技術の向上にばかり心血を注いできた人の方が、不自然な身体の用い方を平気でしている場合が多い。

「柔道の神」と言われた三船久蔵は、身体を一つの「球」として用いることを、その技の肝とした。
「球には常に真ん中に重心があり、それを意識すれば倒れない=常に中心を失わない」ことに気付き、彼独自の柔道原理を確立した。
この、身体を球として捉え、用いる方法は、楽器の演奏においても非常に有効であり、何よりも自然体を保ちやすい。

先日、Twitterに「手首が要。どんな楽器でも。」と書いた。
例えば、ピアノの鍵盤に触れるのは指だが、指で弾くのではない。指だけで弾こうとすると、不必要な力みが生じ、たちまち動きが鈍くなる。このことを通じて、指はそれほど器用ではないことが分かるだろう。
肘は肩に従う、手首は肘に従う。いわば、手首は脳から連なる最後の大きな連結である。大胆な動きも繊細な動きも、急速な動きも緩やかな動きも、手の形をおおよそ保持したまま、余計な力を加えずに指先まで連なる自然な動きを行うには、手首を用いるとよい。
そのためには、手首に連なる他の大きな連結、つまり肘と肩が、余計な力みなく、硬直せず、自在な動きを常に待機するような状態になくてはならない。(操り人形を想像するとよい。)
しかしながら、多くの管楽器のように、手で楽器を保持しながら、同時に指を動かすものは、このような力みのない状態を見つけ出すのは容易ではないようだ。だがその場合でも、先ずは中心(芯、軸)を失わない体の最も楽な状態を見出し(しばしば楽器演奏指導の導入でなされる「姿勢」のレッスンは、不必要な「緊張」を伴わせることを覚えておこう)、楽器の保持の方法はあくまでも物理的に考え、必要最低限の支点を維持し、そこを軸に動きの中心点を捉えた、自由自在な自然体を演奏の基本姿勢とすべきである。このためにも、先に引いた三船の「球」の原理は重要な一助となるだろう。

武道の稽古はまず「自然体」から始まる。
楽器演奏も、楽器を持って構える前に、先ずは「自然体」を見出し、確認するところから始めるべきであろう。






2016年11月9日水曜日

ジャンル

演奏後、客席から
「これは何というジャンルの音楽なのですか?」
といった質問が度々飛んでくる。
先日の会場でも、終演後、真っ先に投げかけられたのがこの言葉だった。
似たようなものだと、例えばコンサートの案内をした折などに
「どんな音楽ですか?」
などと問われることもしばしばである。

いずれも非常に答えに困る。
困った挙句
「カテゴライズを拒むと思います」とか
「言葉に出来るなら、初めから言葉にします」とか
偉そうに、喧嘩を売っているような物言いで返答してしまうことも多いが、実際はもちろん喧嘩などしたくない。共存共栄がモットーであるからね。
しかし続け様に
「でも、一般的に人々はジャンルで音楽を聴きますよね?」などと言い返されると
まさか、そんなわけないだろ?いやいや、こりゃ驚いた、とでも言いたげな顔で苦笑するしかなくなる。すぐ顔に出る質だ。素直とも言える。皆様、どうかお許しを。

しかし、どうもこの音楽における「ジャンル分け」というのが、本来の必要性(すなわち、歴史的・風土的・文化的背景を共有し、リズムや形式、演奏形態などに脈々と通底する共通の音楽語法があるものを分類し理解すること)から離れ、いわば音楽を「売る側」の都合で売りやすくするための恣意的なレッテル貼りに終始してしまっているようである。
先のような発言が一般聴衆の間で平然となされるのは、このようなジャンル分けが十分に成功した証拠だし、何事も抽象度を上げた理解というのは必要ではあるが、具象を伴わない抽象的理解とはあんこの入っていないたい焼きをたい焼きと認めるようなもので、中身がない議論に陥りやすい。
結果、本来は己の唯一無二の音楽的創造を探究すべき音楽家たちすら、この商業都合の悪習に甘んじて迎合するなんていう事態も、まま起こる。

僕はそういうのは嫌いだから、素直に上のような物言いをしてしまうだけなのだ。
断っておくが、意図してジャンル分けを拒んでいるのではない。あくまでも結果である。
肩書すら無用の生き方をしている。僕の表現が僕に似るのは当然至極である。

「周囲に目配りしながら考えたものが、周囲にとって画期的であるはずがない。そういう仕方で考えられたものが、そう遠くまで行けるはずもない。知り焦がれる思考は、歴史の地平に垂直に立つ。『○○時代の××主義』とは、言ってみれば後世の人間が、彼ら考えた人々の排泄物を拾い集めて分類し、わかったつもりになるために貼り付けた名札以上のものではない。」(池田晶子『考える人』
言い得て妙である。
J.S. Bach本人が「私は後期バロックの作曲家です」などと名乗ったはずがなく、いつだって先進的な表現には名前がない。
折に触れ、いつも引くが、「創造」の「創」の字は「傷」の意を持つ。人類の豊かな智を咀嚼した上で、凝り固まった今日の有様を切り裂いて溢れ出す鮮烈な表現を、我々は感ずるままに感受するしかない。

一方で、先日も書いたように、作り手はその意識のうちになお「何も作っていない」という謙虚さを持つことが、助けとなるだろう。殊、音楽は、「所有」すら拒む性質がある。作り手本人がその困難さを最も理解しているはずである。しかし、音楽のこうした性質は、考えようによっては、本当に面白い可能性を秘めている。

John Cageは、とあるインタビューで、彼が作品のアイディアを作る前から包み隠さず話してしまうことを指摘され、それでは盗用されてしまうではないかと心配され、こう答えた。
「私たちには、もはや自分自身のアイディアというのはありませんから、誰も盗用などできないのですよ。もし誰かが≪アトラス・ボレアリスと10の雷鳴≫をやってみたいと思うならば、私が実行する必要はないでしょう。ですから、できるだけアイディアを公表するのです。」(小沼純一編『ジョン・ケージ著作選』

創造の現場では「ジャンル」は全く役に立たない。

2016年11月8日火曜日

静寂を操る

友人にEmilio Regueiraという役者がいる。
先日、Facebook
Como que la vida nos parece más clara con su muerte, la música certifica su existencia con el silencio.(生の証明が死をもって為されるのと同様に、音の存在証明は静寂をもって為される。)」と書いたら、
「El teatro es un largo silencio interrumpido por palabras.(演劇は言葉によって遮断される長い静寂だ。)」と返してきた。
そういう男である。
役者をやっていること以外は何も知らないが、そんな表面的なことではないところで、この男をよく知っているつもりだ。

彼は、音楽家としての僕を、「静寂を操ることを知っているから」と言って、買ってくれている。
「音は、終局的に静寂には克つことができない」と言って、音楽の基礎は静寂であるとしたのは、芥川也寸志だった。(『音楽の基礎』岩波新書

ところで、現在、『ソロ』というプロジェクトで日本各地を巡業中である。7公演ほどを終え、行程も半ばに差し掛かっている。そして、公演の度に気付きがある。

楽器と我が身体が音源なわけだから、僕が音を出さなければ静寂なのかと言えば、もちろんそうではない。
こういう時、空間は楽器であり、聴衆は共演者である、という事実を思い知らされる。
先日の演奏会場の冷蔵庫は、#ソの、一定間隔の小刻みなヴィブラートを伴った通奏低音を終始奏でていた。
そんな時、音楽家は、その状態を静寂に「する」か、その音と戯れるしかない。

静寂にする、というのは、先ずは己の耳を空間の隅々にまで張り巡らすところから始まる。
音を待つ。この状態こそが、音楽的な静寂の第一歩である。
ここでは、共演者としての聴衆の良心も肝要である。
そうした意味でも、音楽はどこまでも他者依存である。

「作曲する」にあたる語は、ご存知の通り、英語ではcomposeだし、西語ではcomponer、いずれも「作る」というよりも「構成する」という意味である。
実際には、白紙では作ったことにならぬし、余白ばかりでは様にならぬ、と五線紙を音符で埋め尽くせば一先ず安心する、というのが世の「作曲家」たちの常なのかも知れない。
そうして、音楽家や演奏家が音楽の邪魔をするなんてことも、しばしば起こる。

だが、静寂を聴き、音を待ち侘び、音が静寂に帰す瞬間を愛でることもまた、音楽の醍醐味である。
音と音の間が静寂なのか、静寂と静寂の間が音なのか。
さてと、耳を澄まそう。

2016年11月7日月曜日

「指が回らない」問題 -作為と緊張―

楽器の演奏をしている時、「指が回らない」という言葉を口にする人を、しばしば見かける。
それはもちろん、楽器を始めて間もない人には殊更多いが、現役のプロ演奏家の中にもいないわけではない。いや、想像以上によくいる。
例えば、非常に高速なテンポで、無窮動のような、細かく複雑な動きが連続したフレーズを練習している時などに。

そんな時、偉そうに横から
「そのテンポに従って、ただ指を動かすだけなら動くのか?」
などと、茶々を入れてみる。
メトロノーム等を使って、楽器を弾くことなど意識せず、最も楽な手の状態で、ただ反応する。
すると不思議なことに、それだけなら存外簡単に出来てしまう。
それから楽器を持つ。するとまた、楽器を弾こうとしてしまうから、瞬時にさっきまでなかった緊張が、手を支配してしまう。
素晴らしき道具=指はたちまち「回らなく」なる。

この類の緊張は往々にして作為からくる。
この場合、楽器を弾こうとする意識に、たとえ自分では無意識的であれ、作為がある。
この作為が曲者であり、しばしば邪魔なのだ。

要するに、言ってしまえば、回っていないのは指ではなく頭だということだ。

今朝見かけたギタリスト山田岳氏のツイートは、この問題に関しても、興味深い示唆を与えてくれるだろう。
彼はここでは最後の一文によって、問題をより高次に音楽的なものに設定しているが、゛どれだけ楽器から離れるか"は楽器演奏における様々な問題解決の糸口を提供してくれるだろう。

いずれにせよ、楽器には作為も悪意もない。楽器のせいではない。
鳴りたいように鳴らしてあげる、が基本である。

2016年11月6日日曜日

蕎麦と音楽

昨夜、美味い蕎麦を食べた。
間違いなく、これまでの人生で最も美味い蕎麦だった。
美味いものは美しい。色艶、しなやかな主張、その有様は芸術だった。
つゆがまた絶品で、いわゆるよくある類の蕎麦つゆと、特製の出汁との二種類を出してくれたのだが、前者もさることながら、後者は我が味覚をこれでもかとばかりに喜ばせ、思わず笑みがこぼれるほどの衝撃的な旨味が口中を覆い包んだ。幸せに味があるとすれば、これだな、と思った。

しかし、この圧巻の蕎麦を作った人はこう言い切った。
「もし、この蕎麦を美味しいと思ったならば、それは農家と土地のおかげです。」

何も作っていない。
あらゆる「作り手」は、この究極の謙虚さを持つか持たぬかで、何もかも変わる。

誰もが容易に「作曲」をし、出来上がったものを「オリジナル」と呼ぶ昨今。
しかし、一体何を作ったと言うのだ?
空気が鳴る。音楽のために必要な環境すら、人間はゼロから生み出すことができない。
作曲という言葉すら怪しい。composeと言った方がまだ相応しい。
記憶や情報を、己の智に組み込み、咀嚼して、後に、表現の必要性から出てきたものの一部である。
今一度問おう。何を作ったと言えるか?

地球が手本であり、全ての「在る」だ。我々はその中で遊んでいる。
自然、すなわち、自ずから然るべきように。その存在と戯れること。
我々は何も生み出してはいない。