2016年11月7日月曜日

「指が回らない」問題 -作為と緊張―

楽器の演奏をしている時、「指が回らない」という言葉を口にする人を、しばしば見かける。
それはもちろん、楽器を始めて間もない人には殊更多いが、現役のプロ演奏家の中にもいないわけではない。いや、想像以上によくいる。
例えば、非常に高速なテンポで、無窮動のような、細かく複雑な動きが連続したフレーズを練習している時などに。

そんな時、偉そうに横から
「そのテンポに従って、ただ指を動かすだけなら動くのか?」
などと、茶々を入れてみる。
メトロノーム等を使って、楽器を弾くことなど意識せず、最も楽な手の状態で、ただ反応する。
すると不思議なことに、それだけなら存外簡単に出来てしまう。
それから楽器を持つ。するとまた、楽器を弾こうとしてしまうから、瞬時にさっきまでなかった緊張が、手を支配してしまう。
素晴らしき道具=指はたちまち「回らなく」なる。

この類の緊張は往々にして作為からくる。
この場合、楽器を弾こうとする意識に、たとえ自分では無意識的であれ、作為がある。
この作為が曲者であり、しばしば邪魔なのだ。

要するに、言ってしまえば、回っていないのは指ではなく頭だということだ。

今朝見かけたギタリスト山田岳氏のツイートは、この問題に関しても、興味深い示唆を与えてくれるだろう。
彼はここでは最後の一文によって、問題をより高次に音楽的なものに設定しているが、゛どれだけ楽器から離れるか"は楽器演奏における様々な問題解決の糸口を提供してくれるだろう。

いずれにせよ、楽器には作為も悪意もない。楽器のせいではない。
鳴りたいように鳴らしてあげる、が基本である。

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