2016年12月27日火曜日

おおきな木

子どもの頃から大好きで、幾度となく繰り返し読んだ絵本がある。
Shel Silversteinの『おおきな木』(原題:The Giving Tree)がそれである。今は村上春樹による翻訳で出ているが、僕が持っていたのは本田錦一郎によるもので、こちらの方が優れていると思う。

僕は、11歳で母方の祖母を失ってから、不思議なことに「死にたい」と思うことはなかったけれども、時々「もうこれ以上生きていたくない」と思うことがあった。そんな時は必ずと言っていいほど、この絵本を開いた。自ずと涙が零れ落ち、裏表紙を閉じた後、ほんの少しだけ世界が違って見えた。

我々はもしかしたら、奪われることにも、奪うことにも、慣れっこになってしまっているかもしれない。

僕は、人は思想し、思想が社会を構築し、その社会の中でまた新たな思想が萌芽し、広まり、より良い生の営みのために働くのだ、と信じたい。無論、ここで言う社会とは、複数の人々の有機的な繋がりによる総体のことであり、文化的にしろ、経済的にしろ、あらゆる事象がここに包含されている。

しかし実際には、今日、思想は無力化されているように見える。何故か。簡潔に言えば、経済システムが社会を構築する基盤になってしまっているからである。資本主義は国家を、そして社会全体を、搾取の構造にした。無から有を生み出す幻想である「利子」の発明のおかげで、搾取の構造から抜け出せないままに死に至る我々は、裏で繰り返される殺戮と破壊にすら盲目である。
我々はそうした構造の中で思想し、表現することを強いられている。ほとんどの、より良い未来への道標となり得る鮮烈な思想が、そしてその表現が、人々に行きわたり、その役目を果たす前に、黙殺される。

話をあの絵本に戻そう。
テーマを見出すとすれば、それは「与える(give)」であろう。

木は少年に「ただ」与え続ける。一切の見返りを求めず、持てるものを全て与える。少年が舟を拵えるために、木は自分自身の肉体のほぼ全てすら与えてしまう。そこで、こう綴られる。
"And tree was happy... but not really."
これを村上は「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね」と訳し、本田は「きは それで うれしかった・・・だけど それは ほんとかな?」とした。本田の方は名訳だと思う。

搾取の構造が家庭や親子の間にまで浸食してしまった時、その子は生きる術を奪われた感覚に苛まれ、この世界の終わりを願うだろう。
見返りを求める愛など、愛ではないのに、そんなことすら知らずに親になってしまう人々がいる。僕の親もそうだったが、親がすべての手本であるわけがないし、家族が世界の全てではない。

この絵本は、僕に、与えるということの美しさを教えてくれた。それと同時に、奪う側の傲慢さがいかに恥ずべきものかも。

人類の経済の原初形態は、「交換」でも「贈与」でもなく、「あげたり、もらったり」ではないか。学生時代にこのテーマについて考える契機を与えられて以来、その時に受けた講義の影響もあって、今でもこう信じている。与えられる時に与えらえる物を与え、貰えるならばありがたく貰う。負債の感情なしに、また、見返りの要求もなしに。ここには所有の概念がほとんどない、または、極めて流動的である。「私のもの」は何もない、私が創り出したものでもない、全て与えらえれたものである、という感覚。その時、自然の在り方は愛そのものであり、「あげたり、もらったり」はその共有の作法である。

しかし、木のしあわせだって、願わなくては。

2016年12月22日木曜日

「簡単な音楽」?

「簡単な音楽」「易しい曲」などといった言葉が、演奏家の間で交わされるのを、しばしば耳にする。何の考えもなしに、特に注意も払わず使っているのだろうけれども、よく考えてみれば疑問が残る。果たして、「簡単な」音楽や曲などというものが、あるのだろうか、と。

Dino Saluzziはよく、こんなことを言う。
「簡単なことなどない。難しいことというのもない。シンプルなことと複雑なことがあるだけだ。」
そして、続けてこんなことも言う。
「良い音楽、悪い音楽、というのもない。良い演奏と悪い演奏があるだけだ。」

音楽は、注意力の、ないしは、意識の産物だ、と言える。
音が音楽になる時、そこには、「聞こえる」という状態から踏み出し、「(目的意識や意志を伴った)聴く」という行為を自発的にする聴衆の出現が不可欠である。
音楽の要素は音と静寂であり、それらを組み合わせることが作曲である、とJohn Cageは言ったが、その音と静寂の組合せを音楽として聴く意志を持った聴衆の存在が必要であるから、音楽はその在り方からして、他者依存的である。

先日twitterにこんなことを書いた。
「楽器の練習は常にppから始めるとよい。用意された静寂から、音が生じる瞬間を、しっかりと捉えるためにも。fやffはあくまでも対比である。ppの意志は、演奏者側だけのものではない。むしろ、しばしば聴き手にこそ高まる。また、優れた演奏家は優れた聴き手でもある。小ささは弱さではない。」
楽器の演奏において、第一の聴衆は演奏者自身である。
また、演奏というと、すぐ既存の曲の演奏のことを思い浮かべてしまうので、忘れられがちな点がある。楽器の演奏とは先ず、音を生じさせることなのである。(無論、自分自身の身体から生じているとは言い難い。その感覚は、演奏上の意識や姿勢としては大切かもしれないけれども、実際には楽器を介して、である。)
先ず、静寂を用意する。音を待つ感覚である。この時点で「聴く」ことが既に始まっている。始まっていなければ、音は出してはいけない。
高まった聴取の意識の中で、音を出す。(ここで演奏上の助言をするとすれば、どんな弱音でも、楽器が鳴っていなければならない。)意識は、すぐさまその音の出現を感受する。立ち現れるピアニッシモに対して耳は研ぎ澄まされていく。

たとえ一音でも、この意識の集中を実現するのは、容易なことではない。私たちはしばしば、複雑で技巧的な音の組合せに興味を引かれがちだが、本当のところ、良い演奏というのは、この極限にまで高められた意識が、奏でられる一音一音に行き届いているもののことではないだろうか。一音が音楽になり、ハ長調の音階練習が美しいコンポジションとして響く可能性が、ここに秘められている。

「簡単な音楽」などない。あるのは、そんなことを言ってしまう演奏家の傲りと自惚れだけである。

2016年12月16日金曜日

考える

僕は日常的に3つの言語で情報を得ている。日本語、スペイン語、そして英語である。
また、メールやチャットなどを用いた日々のやり取りの8割以上が、今はスペイン語になっている。
必要に迫られて、である。別段、得意なのではないし、専門教育を受けたのでもない。聞いたら喋らずにはいられないし、読めば書かずにはいられない、それだけである。

ジャーナリズムは死んだ、と言う人がいる。マスメディアのジャーナリズムはそうかもしれない。資本が真実を封殺し、言論を捻じ曲げ、報道を広告にしてしまっていては、そうと認めざるを得ない。
僕は子ども時代から、テレビをあまり観ない。一人暮らしを始めて10年近く経ったが、テレビを持ったことがない。たまに中華料理店なんかで観ると、その内容の無さに辟易し、操られ方にぞっとする。新聞もまた然り。死んだと言われても仕方ない。

しかし、である。
インターネットの普及、殊にSNSの浸透による効果の一つは、本来は通信であったものが報道の役割を担うことにある。その発信は容易に一人で出来て、その内容は圧倒的にリアルである。
アレッポの惨状を、私たちは今や、カメラとマイクを携えたジャーナリストを通じてではなく、爆撃されている現場にいる一般市民が発信するスマートフォンの映像で知るのである。今この時起こっている現実が、「これが最後のメッセージになると思う」という生きた言葉によって突き付けられるのである。
もはやこれは情報ではないかもしれない、とすら思える。
2001年9月11日、世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んでいく映像を、我々はあの時、瞬時に情報として読み解くことが出来ただろうか。現実であることすら疑ったのではないか。当然である。2011年3月11日、津波に飲み込まれていく街の映像を、我々はすぐに現実として受け止められただろうか。あの映像を、現場にいない人たちは、情報的に理解する必要があったのではないか。リアリティは希薄となり、「地震」「津波」…と言語化され、理解され、記憶され、やがて忘却された。

我々、日本で教育を受けた者は往々にして、知識を問われることには慣れっこだが、考え、意見を問われることに対しては、随分と不甲斐ない。
しかし、「考えること」を伴わない「知ること」は、今や徐々に必要とされなくなってきているのではないか。情報は氾濫している。知っていることに、かつてほどの価値はない。問われているのは、あなたの知識ではなく、考えである。知識は知的に考えることを助け、考えの及ぶ世界を広げ、考える態度を寛容にするのに役立つ、いわば道具である。あなたの考えこそが、あなただけに求め得るものである。そして、あなたの考えはあなたの行動を動機づける。「アームチェアの人類学者」が、なぜ常に、実践者としてフィールドに出る人類学者による批判の的であったのかを思い出すとよい。

情報の手前、現実により近いものが、日々、世界のあらゆるところから届けられる。時に、目を覆いたくなるものも含まれる。目を覆うのも自由である。じっと見つめるのも自由である。重要なのは、その時あなたは何を感じ、そして、考えたかである。考えるのである。たとえ、捉えどころがなくとも。そうして、今、何をすべきかが少しずつ見えてくるはずである。

2016年12月10日土曜日

ふと思う

「これらの機械を全て外せば、死ぬということだ。自力で生きているのは、脳だけだ。」
死を眼前に控えた祖母を前に、僕は、手話で父にこう伝えた。こんな言葉を吐いたのは、手話に限らず、日本語でもスペイン語でも英語でも、未だかつてなかったことで、自分で自分の言葉に少々驚いたが、そういうものなのかもしれない。
祖父と3人、我が家三代の男だけで、しばらく祖母に話しかけたり、じっと眺めたりしていた。最初の脳卒中から約10年が経っている。祖母はその間、度重なる再発や併発症による病状悪化で、病院や施設を転々としてきた。
今も危篤状態は続いているが、不思議なもので、こちらは一種の覚悟というか、これこそ生の営みなのだという諦めというか、そういう感情を得られて、落ち着いている。死は、誰にでも等しく訪れる。

郷里に行くと、時折、胸が苦しくなる。自分では赦しているつもりでも、記憶は甦ってくる。
特に父親の存在を見るにつけ、母親の存在を思い出すにつけ。

僕は音楽を聴いたり、楽器を演奏したりすると、殴られるような家庭で育った。
音楽についてだけではないが、とりわけ聾者である父親が理解し得ない音楽については、過敏な反応があった記憶がある。家庭の中には常に暴力があった。それが日常であった。
また、特に母親は、一家を巻き込むまでに、とある新興宗教にのめり込んでいた。もはや、狂っていた、と言っていいほどだったと思う。僕が「信じない」と言った後は、母親によって、一家に降り注ぐ数々の災厄の原因は僕の存在だとされた。「死ね」「殺す」の類の台詞を彼女の口から何度言われたか知らない。愚かなことだと思う。

僕は母方の祖母の死を機に、常に家から逃亡したいと思うようになった。おかげで独り立ちの術も早々に覚えた。12歳から人前で笛を吹いて稼ぐようになったのも、こうした理由があったからである。

ついに、当然のことながら、両親どころか、家族・親戚の誰一人にも、僕の音楽家としての生き方、僕の音楽を理解し応援してくれる人は、現れなかった。

両親は離婚し、それぞれに新たな伴侶を得て、新たな生活を送っている。
一家離散、というよりは僕が自ら断絶していた時期が続いたが、祖父が送ってきた一通の手紙を契機に、僕は郷里に時折戻ったり、連絡を取ったりするようになり、今日に至る。祖父は手話が全く出来ないので、父とのコミュニケ―ションの繋ぎ役としても、僕は都合の良い存在なのかもしれないが。まぁ、何でもよい。

先日、6、7年ぶりに自転車を手に入れた。
初めて乗り方を覚えた時から、両足を地に着けず、風を切って移動するのが、僕には自由な根無し草を想わせて、爽快なのだ。10代の頃は日に150kmでもペダルをこいで、あちこち出かけた。
いつでも、どこへでも行ける、そう思わせてくれる。

「移動」は、「そこにある」と「そこにない」を繰り返す。その意味で、それぞれの瞬間は、死に近く、また、音に近い。などということを、ふと思う。

今日のような晴天は、僕を、ここではないどこかへ誘う。





2016年12月6日火曜日

永遠の感覚

昨夕、Giuseppe Tornatoreの新作を観た。
ともすれば回りくどく語られ、核心を突かれにくいが、しかし生きる上で本当に大切なことを、誰にでも理解できる表現でもって伝えようと試みる秀作が多い監督なだけに、今回も流石の美しさであった。(ちなみに音楽はEnnio Morricone、恐らく世界一忙しい88歳の一人であろう巨匠。)

テーマは「死と永遠」といったところだろうか。

終盤の台詞にあった、「人は"ある過ち"を犯すから永遠に生きられなくなる」という問いかけが、(作中では登場人物の口から彼自身の答えは与えられていたが、それとは関係なく)劇場を出た後も僕の中では響いていた。

「自分が今生きているという感覚の中に、欠片として、永遠の感覚がある」と鶴見俊輔は言った。
僕が敬愛する哲学者・大森荘蔵は、「現在只今」を考え続けた。過去もなく、未来もなく、今、直に立ち現れる、と。

鶴見の言う通り、永遠は「感覚」である。その感覚でもって見つめ、想起するのは「今」である。今が永遠にあるという感覚であり、今こそが永遠であるという感覚である。この意味で「欠片」ではない。命ある「瞬間」というよりはむしろ、命の「在り方」そのものである。大森の言うように、「知る」ことを「生きる」ことの様式と捉える時に立ち現れる感覚こそ、その想起の出発点としては、永遠に近い、あるいは、そのものである。

無から生じ、無に帰る。
命は音に似ている。
死が生を以て証明されるのではない。死を以って生が明らかにされるのである。
三木清は、虚無こそ人間の条件であり、生命とは虚無を掻き集める力だ、と言った。

あの"ある過ち"とは、今この時を我が全生命を以って尊んで生きることが出来ないこと、ではないか。それによってのみ、永遠の感覚は立ち現れるのだから。






2016年12月4日日曜日

ありのまま

産まれたての自分を想像する。
母胎から出て、産声を上げ、呼吸を始めた時から、世界は瞬く間にその感受性の対象となる。世界は、概念からも言語からも、つまりはあらゆる名付けから解き放たれ、ただ立ち現れる。
ここは、いわゆる「言語論的転回」の想像が及ばなかった、それ故に彼らの嘘が容易に暴かれる次元である。
そう、世界は「ただ、ある」。

言葉は元来「虚偽的な道具」である。「ただ、ある」世界を切り取り、その切り取られた断片に名を与え、恣意的に仲間分けをし、抽象度を上げて、概念として思考上の操作し易くするための道具である。そうしなければ他者との意思伝達は捗らないが、「私」がこの世界においてただ個であり、同時にこの世界に境目なく組み込まれた存在である時、言葉は、より正確に言えば、すでに獲得され共有された言葉は、世界を感受し理解する道具としては、あまりに頼りない。「ただ、ある」世界の、ありのままを描き得ないもどかしさは、言葉から解き放たれた、より直接的な、ありのままの世界を「私」が感受したありのままの記憶によって、解消されるだろう。

だから言葉は虚栄の役に立ちやすいのかもしれない。
三木清の『人生論ノート』の中の「虚栄について」には興味深い指摘が並ぶ。
「虚栄は人間的自然における最も普遍的な且つ最も固有な性質である。虚栄は人間の存在そのものである。」「人生はフィクショナルなものとして元来ただ可能的なものである。その現実性は我々の生活そのものによって初めて証明されねばならぬ。」「人生の知恵はすべて虚無に至らなければならぬ。」「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる。」「虚栄は最も多くの場合消費と結び附いている。」と断じ、終いには「しかし自己の生活について真の芸術家であるということは、人間の立場において虚栄を駆逐するための最高のものである。」と言う。

例えば音楽が、三木の言うように「虚栄を駆逐するための」ものであるためには、先ず言語性から離れる必要がある。巷によく飛び交う「音楽はユニヴァーサルな言語」などといった類の謳い文句は、芸術のこの重要な役割を全く理解していないと言わざるを得ない。まぁ、所詮、商業広告のキャッチ・コピーである。芸術表現はその出発地点、衝動の時点で、非常にパーソナルであり、そうでなくてはならない。創作活動には孤独がつきものであると言われる所以は、ここにもある。正に己の感受性によって直に世界に触れ、共有を前提としない、他者への伝播の可能性も放棄した、言語化・概念化手前の、溢れるがままの手探りの表現にこそ、可能性がある。

そして、その創作物が他者と共有された時、それを享受する時の我々も、ただありのままを感受し、「語り得ぬもの」の言語化ではないアプローチ(引き寄せの方法)を模索し、記憶することで、その表現に応えなければいけない。少なくとも、そして、あくまでも、個の次元では。

ありのまま、「ただ、ある」世界そのものに近づく手段を、幸いにも、まだ我々は失っていない、と信じている。





2016年12月2日金曜日

音は、今、鳴る

僕は、人類史において、作曲をしない演奏家が「音楽家」として生き残り得るかどうか、まだ疑問の余地がある、と考えている。少なくとも録音技術の誕生以前には、そうした演奏家たちはその音楽を記録として遺す手段も、情報として伝播させる方法も持たず、歴史上、(演奏を聴いた誰かが言葉によって形容し、その名を書き残してくれた例はあったとしても)無名化されたのではないか。

しかし、かつて音楽は常に即時的、同時的であり、共時的であった。今日でも、演奏を止めない音楽家の間には、この音楽の特性への信奉は根強い。かく言う僕もその一人である。
Dino Saluzziは、「音楽は"tiempo real"(=real time)の芸術である」と言った。

演奏家に音楽家としての創造性を認め得るのは、美しい音を生み出す時である。美しい音は、それ自体がすでに美しい音楽であるがゆえに、美しい音楽と同様に、またはそれ以上に、生み出すのが困難なものである。
しかし、この「美しさ」は、奏でる者だけに依るものではない。楽器の状態、空間、時間、そしてそれら全ての共有者が関わる。ゆえに音楽を「聴く」という行為は、常に能動的で参加的なのだ。

音は、生じては消える。
録音技術が存在しない世界では、それは、「今起こり」「今味わう」ものであった。
その意味で音は、味や匂いに近く、音の記憶は暗黙知の次元にある。

僕自身は、音楽家として、歴史に残ることには意義を見出さない。死んでからありがたがられても仕方ない、というのが正直なところである。
それよりも、我が命の有限性を拠り所としながら、生の、記録にも情報にもならない記憶として、誰かと共にあることの方が、嬉しく、また、心地よい。

僕は、音楽家ではなく、音楽に、もっと言えば音になりたい。