楽器の演奏というと、普段の生活上の所作からは随分かけ離れたような繊細極まりない技を必要とするようにとかく想像しがちだが、実際には先ず、あくまでも自然な、無理のない動きというのを見つめ直していかなければいけないわけだ。(だから、日常生活のあちこちにヒントがある。)
その意味では、物心が付くか付かぬかの幼いうちから、自らそうした探求をする時間を与えられず、訓練されるがままに演奏技術の向上にばかり心血を注いできた人の方が、不自然な身体の用い方を平気でしている場合が多い。
「柔道の神」と言われた三船久蔵は、身体を一つの「球」として用いることを、その技の肝とした。
「球には常に真ん中に重心があり、それを意識すれば倒れない=常に中心を失わない」ことに気付き、彼独自の柔道原理を確立した。
この、身体を球として捉え、用いる方法は、楽器の演奏においても非常に有効であり、何よりも自然体を保ちやすい。
先日、Twitterに「手首が要。どんな楽器でも。」と書いた。
例えば、ピアノの鍵盤に触れるのは指だが、指で弾くのではない。指だけで弾こうとすると、不必要な力みが生じ、たちまち動きが鈍くなる。このことを通じて、指はそれほど器用ではないことが分かるだろう。
肘は肩に従う、手首は肘に従う。いわば、手首は脳から連なる最後の大きな連結である。大胆な動きも繊細な動きも、急速な動きも緩やかな動きも、手の形をおおよそ保持したまま、余計な力を加えずに指先まで連なる自然な動きを行うには、手首を用いるとよい。
そのためには、手首に連なる他の大きな連結、つまり肘と肩が、余計な力みなく、硬直せず、自在な動きを常に待機するような状態になくてはならない。(操り人形を想像するとよい。)
しかしながら、多くの管楽器のように、手で楽器を保持しながら、同時に指を動かすものは、このような力みのない状態を見つけ出すのは容易ではないようだ。だがその場合でも、先ずは中心(芯、軸)を失わない体の最も楽な状態を見出し(しばしば楽器演奏指導の導入でなされる「姿勢」のレッスンは、不必要な「緊張」を伴わせることを覚えておこう)、楽器の保持の方法はあくまでも物理的に考え、必要最低限の支点を維持し、そこを軸に動きの中心点を捉えた、自由自在な自然体を演奏の基本姿勢とすべきである。このためにも、先に引いた三船の「球」の原理は重要な一助となるだろう。
武道の稽古はまず「自然体」から始まる。
楽器演奏も、楽器を持って構える前に、先ずは「自然体」を見出し、確認するところから始めるべきであろう。
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